家を出て10歩で気づいた。イヤホンを忘れた。取りに戻るか3秒迷って、そのまま駅に向かった。
結論から言うと、この忘れ物は当たりだった。イヤホンなしで歩いた通勤路は、知らない街みたいに情報量が多かった。今日はその「耳で歩く」再発見の話を書く。
僕の耳は年中ふさがっていた
白状すると、僕の耳は起きている時間の大半ふさがっている。通勤はポッドキャスト、仕事中はノイズキャンセリングで集中、帰り道は音楽。
ノイキャンの快適さは麻薬的で、一度慣れると生活のBGMを全部自分で選びたくなる。世界の音量つまみを自分で握っている感覚。エンジニアという人種は、たぶんこの「制御できてる感」が大好物なのだ。
その結果、僕は自分の住む街の音を、ほとんど聞いたことがなかった。
忘れた日の帰り道
イヤホンなしの帰り道は、驚くほどうるさかった。そして、そのうるささが妙に面白かった。
商店街に入ると、惣菜屋の揚げ物の音がした。踏切の音が近づいて遠ざかり、居酒屋の換気扇からは焼き鳥の匂いと一緒に笑い声が漏れてくる。公園の脇では、今年最初の蝉が鳴き始めていた。夏はもう、音では始まっていた。
いつもの15分の道のりが、その日は情報の洪水だった。毎日歩いている道なのに、耳で歩いたのは初めてやったのだ。
音は街の実況中継である
歩きながら気づいたのは、音がそのまま街の実況になっていることだ。
あの居酒屋の笑い声は「今日も繁盛してます」の合図だし、蝉は季節のアナウンス、夕方のチャイムと子どもの声は時間の目印。目で見る街が「静止画」なら、音まで含めた街は「生放送」である。
街を観察して遊ぶ話は街のUI観察の記事で書いたけど、あれは主に目の遊びだった。耳を足すと、観察の解像度がもう一段上がる。
ながら聴きで失っていた余白
もう一つの発見は、脳の余白だ。イヤホンなしで歩いていると、頭が勝手に考え事を始める。
仕事の悩みの整理、ブログのネタ、週末の予定。誰かの声を流し込んでいる間は起きなかった思考が、静か…いや、うるさい街の中で勝手に湧いてくる。インプットを止めた瞬間に、脳は処理を始めるらしい。
よく「アイデアは散歩中に出る」と言うが、あれはたぶん散歩やなくて「耳が暇なこと」が本体なんやと思う。イヤホンをした散歩は、机の前と同じくらいアイデアが出ない。
週一、耳の休日のすすめ
この体験以来、週に一回はイヤホンを置いて出かける日を作っている。名付けて「耳の休日」だ。
ルールは簡単で、その日の移動中は何も聴かない。それだけ。ポッドキャストの積読は増えるけど、代わりに季節の進み具合と、街の営業状況と、自分の考え事が手に入る。
情報を浴びる時間を減らして、情報が向こうから聞こえてくる時間を作る。デジタルデトックスというほど大げさなものやなく、散歩の設定を一つ変えるだけの遊びである。
まとめ
要点は3つ。
- イヤホン常用で、僕らは自分の街の音をほぼ聞いていない
- 音は街の生放送。季節も店の活気も時間も、耳から入ってくる
- 耳が暇になると、脳は勝手に考え始める。アイデアが欲しい人ほど耳を空けるべし
明日の帰り道、試しにイヤホンをポケットに入れたまま歩いてみてほしい。あなたの街、思ってるより喋ってるで。