日常の発見

押すか引くか迷うドアは君のせいやない。エンジニアの街UI観察記

押すのか引くのか分からないドア、たまにある。取っ手を押して、ガチャッと拒否されて、ちょっと恥ずかしくなるあれだ。

先に結論を言うと、あれはあなたのせいではない。ドアの設計のせいだ。モバイルアプリ開発を6年やってきた僕が、街にあふれる「UI」を観察して見つけた日常の発見を書く。

悪いのはドアである

アプリ開発の世界には「ユーザーが操作を間違えるのは、ユーザーではなく設計が悪い」という考え方がある。デザインの教科書に必ず出てくる、有名な原則だ。

引くべきドアに「押したくなる形の取っ手」が付いていたら、人は押す。それは人間の認知として正しい反応で、間違っているのは形と動きが一致していないドアのほうだ。

この視点を手に入れてから、街を歩くのが急に面白くなった。世の中は、良いUIと悪いUIの無料展示会である。

街は教材だらけ

意識して歩くと、観察対象は無限に見つかる。

  • 駅の券売機。初見の人が必ず一時停止する。どのボタンから触ればいいか、画面が案内できていない証拠だ。逆にICカードのチャージ機は迷う人が少ない。選択肢が絞られているからだ。
  • エレベーターの「閉」ボタン。「開」と形がほぼ同じで、急いでいるときほど押し間違える。あれで挟まれかけた人、僕だけではないはずだ。
  • シャンプーとリンスの容器。シャンプー側にだけ側面にギザギザが付いている。目をつぶっていても区別できる、教科書級の良いUIだ。風呂で確認してみてほしい。

こうやって見ると、優れた道具は「説明がなくても正しく使える」ようにできている。説明書きの張り紙が増えていく道具は、設計が敗北している道具である。

レビューで殴られた実体験

偉そうに書いてきたが、僕自身も設計で敗北した経験がある。担当アプリに新しい機能を追加したときのことだ。

開発チームでは「これは便利」と盛り上がってリリースした。ところがアプリストアのレビューに付いたのは「使い方が分からない」の一言。社内の誰も迷わなかった操作で、ユーザーは迷った。

作った本人は、その機能の仕組みを知っているから迷いようがない。知識ゼロの人がどこで詰まるかは、作り手には見えない。あのレビューは痛かったけど、「分かりにくいと言われたら設計の負け」という感覚を骨身に沁みこませてくれた。

「自分が悪い」をやめる

この視点には、実用的なご利益がもう一つある。道具に対して「使いこなせない自分が悪い」と思うのをやめられることだ。

複雑な家電の設定で詰まっても、役所の書類で書き間違えても、落ち込む必要はない。詰まらせる側の設計に問題がある。もちろん開き直って学ばないのは違うけど、少なくとも自分を責める必要はない。

特に、親世代がスマホの操作で詰まっているのを見て「なんでこれが分からんの」と言うのは筋違いやと思う。分からせる設計にできていない僕ら作り手側の宿題である。

観察は日常のスパイス

結局これは、通勤路や近所のスーパーを教材に変える遊びだ。お金もかからず、飽きることもない。

身の回りのものを「そういうもの」で流さずに一歩踏み込んで観ると、日常は急に情報量が増える。ポケモンの主題歌の歌詞から推し文化の変化を見つけた話を前の記事に書いたけど、根っこは同じ観察遊びである。

そしてこの遊びは、僕の本業にもそのまま還元される。街で見つけた「迷わせない工夫」は、明日の画面設計のヒントになる。趣味と実益を兼ねた、天才的な遊びやと思っている。

まとめ

要点は3つ。

  • 操作を間違えさせるのは、ユーザーではなく設計の責任
  • 街は良いUIと悪いUIの無料展示会。券売機も風呂場も教材になる
  • 「使いこなせない自分が悪い」と思うのをやめると、日常が少し楽になる

今日どこかで押すか引くか迷うドアに出会ったら、思い出してほしい。悪いのは君やなくて、そのドアだ。

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