最近、CUTIE STREETというアイドルにハマっている。YouTubeを漁っていたら、彼女たちがポケモンのEDを歌っていることを知った。曲名は「きゅーとなきゅーたい」。タイトルからしてもう可愛い。なんとなく聴いていたら、ふと引っかかった。あれ、これほんまにポケモンの曲なん?と。
正確に言えば、引っかかったのは曲そのものではない。「ポケモンって、いつの間にこんな存在になったんやろう」という違和感だった。今日はその話をしたい。
入口はアイドルやった
先に言っておくと、僕はポケモンのガチ勢ではない。対戦をやり込んだこともないし、知っている曲なんて「めざせポケモンマスター」ぐらいのものだ。だから、ポケモンに詳しくて今回の変化に気づいたわけではない。完全にアイドル側から入っている。推しがポケモンのEDを担当している。そのルートで「きゅーとなきゅーたい」に出会った。
今思えば、この入口自体がもう答えみたいなものだった。ポケモンの新曲を、ポケモンではなくアイドル経由で知る。この時点で、ポケモンの立ち位置は昔とだいぶ変わっている。
まずサビを見てほしい
問題のサビがこれだ。
キュートなキューたいで捕まえて
ずっと描いた夢の前で
ビリっと電気がはしっちゃう!
メロメロで動けなくなっちゃう!
まだまだ変われそうなわたし
キュートなキューたいで捕まえて
いつまでもずっと一緒です
どんな困難も超えてゆけ
きっと未来は輝いてる
だから仲間になろう
Pick up youI want you!
ハートに命中
Pick up youI want you!
冒険の真っ最チューー
初めて歌詞をちゃんと読んだとき、素直にすごいと思った。「キュートなキューたいで捕まえて」「メロメロで動けなくなっちゃう」「ハートに命中」。ポケモンを、可愛くて目が離せない存在として全力で愛でている。応援して、夢中になって、いつまでも一緒にいたい。これはもう、推しに向ける言葉そのものだ。
バトルの言葉が、愛でる言葉になっている
面白いのはここからだ。「電気」も「メロメロ」も、元をたどればポケモンのバトル用語やんな。でんきタイプのビリビリした痺れ、メロメロは相手を骨抜きにする状態異常。本来はどちらも「戦う」ための言葉だ。それがこの曲では、可愛さに撃ち抜かれて動けなくなる、という意味で使われている。
戦うための語彙が、そのまま「夢中になる」ための語彙に転用されている。同じ言葉なのに、向いている方向が逆だ。昔は相手にぶつける電気とメロメロ。今は自分がやられてしまう電気とメロメロ。バトルの世界の言葉を、推しへの気持ちに丸ごと翻訳している。これを考えた作詞の人、天才やと思う。
昔のポケモンは「相棒」だった
比べるために「めざせポケモンマスター」を思い出してほしい。あの歌は、ポケモンマスターを目指して旅に出て、ポケモンと一緒に強くなっていく歌だった。相棒。戦友。並んで前を向いて、一緒に困難を越えていく仲間。ポケモンとトレーナーの関係は、そういう「横に並ぶ」イメージだったと思う。
「きゅーとなきゅーたい」にも、実は「冒険」「どんな困難も超えてゆけ」という言葉は残っている。残ってはいるのだが、質感がまるで違う。並んで戦う相棒というより、こちらを夢中にさせてくる可愛い存在。ゲットする対象というより、こちらが心を持っていかれる側だ。
戦力としての「ゲットだぜ」から、可愛くて目が離せない「メロメロ」へ。ポケモンが、相棒から推しへと静かに近づいている。そんな感覚があった。
たぶん、これは推し文化の話
なんでこうなったんやろう、と考えてみた。たぶん、ポケモン単体の変化ではない。日本中に推し文化が根付いたからだと思う。
昔、オタクの言う「萌え」には、どこか嫌煙される空気があった。好きなものにのめり込むのが、少し恥ずかしいこと、みたいな扱い。それが今は真逆になっている。「好きなものがあって、そこに一直線になれるのは素晴らしい」。推しがいる人生はいい。そう堂々と言える時代になった。
アイドルも、アニメのキャラも、Vtuberも、歴史上の武将ですら、今はみんな「推す」対象だ。応援して、グッズを買って、夢中になって、日々の元気をもらう。その大きな流れの中でポケモンを見れば、「一緒に戦う相棒」より「メロメロになれる推し」の方が、今の気分にしっくりくる。作品が変わったというより、時代が求める距離感の方が変わったのだと思う。
ポケモンは、時代の鏡なのかもしれない
考えてみれば、ポケモンはいつだってその時代の空気を映してきた気がする。みんなが冒険にワクワクしていた時代には、旅と成長の物語として。競い合うのが楽しかった時代には、対戦のゲームとして。そして、みんなが推しに癒やされる今は、愛でる対象として。中身のポケモンは変わっていないのに、こちらの向き合い方だけが時代ごとに移り変わっている。
そう思うと、「きゅーとなきゅーたい」は、ただの可愛い曲ではない。今の僕たちがポケモンに何を求めているかを、そのまま言葉にした曲なのだと思う。
これが時代か
誤解しないでほしいのだが、僕はこれを嘆いているわけではない。「昔は良かった」でもない。聴いた瞬間に思ったのは、ほんまにシンプルに「これが時代か!」だった。
戦う相棒が、メロメロの推しになる。バトルの言葉が、愛でる言葉になる。それを僕みたいなアイドル経由の人間が入口にして知る。全部が「今」を映していて、めちゃくちゃ面白い。
好きなものに一直線でいい時代。ポケモンもその波に乗って、ちゃっかり可愛くなった。いいと思う。みんなも一回「きゅーとなきゅーたい」を聴いて、歌詞をじっくり読んでみてほしい。その可愛さに、ちゃんとメロメロにさせられるから。