暮らし・人づきあい

隣人の名前、言えますか?挨拶から始める現代の長屋ぐらしのすすめ

突然だが、隣の部屋に住んでいる人の名前を言えるだろうか。僕の周りで聞くと、言える人は少数派だ。顔すら思い出せない人も多い。

都会の一人暮らしでは、それが普通になっている。でも僕は、この「普通」がちょっともったいないと思っている。挨拶一つでご近所が変わった実体験と、現代版の長屋ぐらしのすすめを書く。

隣人の名前を知らない僕ら

オートロックのマンションに住み、通販で買い物を済ませ、隣人とはエレベーターで目を合わせない。現代の都市生活は、ご近所付き合いゼロでも完結するようにできている。

これは自由で快適だ。煩わしい人間関係を選ばなくていい。ただ、その快適さと引き換えに、僕らは「半径10メートルの味方」を失っている。

災害時に一番早く助けてくれるのは、遠くの家族やなくて隣の住人だ。頭では分かっているのに、その人の顔も知らない。冷静に考えると、けっこう不思議な暮らし方である。

引っ越し挨拶をしてみた

いまの部屋に引っ越したとき、僕は昔ながらの引っ越し挨拶をやってみた。数百円のお菓子を持って、両隣とお向かいへ。

反応は三者三様だった。歓迎してくれる人、警戒気味にドア半分で応対する人、不在でお菓子をドアノブに掛けて終わった家。正直、手応えは微妙やった。

でも効果はあとから来た。エレベーターで会えば会釈から一言二言になり、数ヶ月後には不在時の宅配便を預かってもらえる関係になった。ゴミ置き場の暗黙ルールも、地域の夏祭りの日程も、隣人経由で知った。数百円のお菓子の利回りとしては上等すぎる。

挨拶は「敵ではない」の宣言

やってみて分かったのは、ご近所付き合いのハードルは実は1段しかないということだ。「知らない人」から「顔見知り」への1段である。

この1段を越える最小の手段が挨拶だ。挨拶には「私はあなたの敵ではありません」という宣言の機能がある。宣言済みの相手には、ちょっとした頼み事も、ちょっとした親切もできるようになる。

頼り合いの最小単位が家族だという話は結婚について書いた記事でも触れた。その次の輪が、物理的に一番近い他人、つまりご近所さんやと思う。

現代版・長屋のすすめ

昔の長屋には、醤油の貸し借りや子どもの預け合いがあった。あれを現代にそのまま復元するのは無理があるし、僕も濃すぎる付き合いは求めていない。

僕が推したいのは、うんと薄めた現代版だ。名前と顔が一致する。会えば挨拶する。困った時だけ、ちょっと頼れる。この「薄い長屋」なら、プライバシーと安心のいいとこ取りができる。

具体的な行動は3つでいい。引っ越し時(または今から)の挨拶、エレベーターと廊下での会釈、そして宅配や回覧板みたいな小さな接点を面倒がらないこと。それだけで、半径10メートルに味方ができ始める。

防犯にも効く顔見知り

実利の話も足しておくと、顔見知りの多い集合住宅は防犯にも強い。

不審者がいちばん嫌うのは、住人同士が挨拶し合う環境だと言われる。「見られている」「覚えられる」場所では悪さがしにくい。挨拶は、無料で設置できる防犯カメラみたいなものだ。

一人暮らしの人ほど、この効果は大きい。自分を認識してくれる人が同じ建物にいる。それだけで、いざという時の安全マージンが一段増える。

まとめ

要点は3つ。

  • 現代の暮らしはご近所ゼロで完結するが、半径10メートルの味方も失っている
  • 「知らない人」から「顔見知り」への1段を越える最小の手段が挨拶
  • 目指すのは濃い付き合いやなく「薄い長屋」。挨拶・会釈・小さな接点で十分

まずは今度エレベーターで乗り合わせた人に、「こんばんは」の一言から。数百円のお菓子より、さらに安い投資である。

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